鰯の頭も信心から
(いわしのあたまもしんじんから)

ということわざが存在していますが、

 

鰯の頭も信心からとは
どんな意味があることわざなのでしょうか?

 

なので今回は

鰯の頭も信心からの意味

についてまとめてみました。

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鰯の頭も信心からの意味はどうなってるのか?

鰯の頭も信心からとは
どんな意味があるのかと言いますと、

 

イワシの頭のようなつまらないものでも
信じる気持ちがあれば尊い物に思われる

という事から来ていて、

 

そこから転じて

一度信じてしまえば
どんなものでもありがたく思えてくる

という意味になりました。

 

例えば子供の頃
他の人から見ればガラクタに見えるようなものを

すごく価値がある宝ものみたいに思って
一生懸命集めてた事があると思います。

 

他にも
カードゲームのカードなんかも

興味が無い人から見れば
価値のないものに思えるかも知れませんが

 

コレクターにとっては
神様のようにありがたいものと映ってるはず。

 

そんな一軒つまらなく見えるものも
信じてしまえば価値あるものと見えるという事で

鰯の頭も信心から

ということわざとし使われてます。

 

また、

鰯の頭も信心から

ということわざには他にも

 

何かをかたくなに信じる人を
からかっていうときにも使います。

 

とはいえ、

自分から見れば他人が信じるものが
つまらないものに見える場合もあるかも知れませんが、

 

その逆に、

自分が信じるものが他人から見れば
つまらないもののように見える場合もあります。

 

危ないものとかならともかく、

趣味など人それぞれに
価値あるものがあるという事ですね。

 

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鰯の頭も信心からの由来はどこからきている?

それで

鰯の頭も信心から

とはどこから由来が来てるのかと言いますと、

 

昔は節分の夜に

鰯の頭を柊の枝に刺して戸口に飾る

という習慣が存在していて、

 

鰯の頭を戸口に飾る事で

柊の葉のとげと鰯の臭気で鬼が逃げていく

と信じられていたのが由来と言われています。

 

つまり、

鰯の頭のように一見役に立たなさそうなものも
信じる人には鬼を追い払う魔除けの道具に見える

という事ですね。

 

そしてそこから転じて

つまらないものであっても
信じる人には価値あるものに見える

という意味でつかわれるようになったのです。

 

それにしても、

戸口に鰯の頭を飾れば鬼がよらないというのは
今にして思えば胡散臭く思えてきますし、

 

ちょっと怪しく思えるところも
上記のような意味の由来となってるように思います。

 

 

鰯の頭も信心からの意味まとめ

鰯の頭も信心からの意味は

一度信じてしまえば
どんなものでもありがたく思えてくる

という意味になります。

 

自分から見ればつまらないものでも
他人から見れば価値があるものに見える場合もありますし、

その逆もまたしかりになってきます。

 

多様化している現在では

人にとって価値あるものというのは
それぞれなのかもしれないと思いますね。

 

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